主に麻倉ももさんのことを書きます

2017/06/25

23歳のお誕生日おめでとうございます。

こうやって当人の目に付かなそうなところで誕生日のお祝いの言葉を表すのは、 単に好きな声優の誕生日なのだから祝わなければならない、という規範に縛られてるだけなんじゃなかろうかとふと思ったりもしたのだけれど、 そういう面もきっとあるにはあるんだろうが、それはそれとして、お祝いをしたいと思った自分の気持ちに従いたい。

何の日でもないはずの日を特別な日として迎えて過ごすことができるのは純度が高い内的なファン行為であるように思える。 この文章を書きながら「祝う」や「寿ぐ」を辞書で引いて、喜びの気持ちを言葉で表現する意味だということを知ったが、 言葉に表すことよりもむしろ、言葉にするより前の段階にある喜びの気持ちを持つことそれ自体に重きを置きたい気持ちが最近は強い。 声優に対して手紙を書く行為も、理想としては、好きな声優に手紙を書いていることそれ自体を手紙を書く理由にしたい。

というのも、自分の性格上、イベントに行くことだったり手紙を書くことやその行為自体に価値を見出すと、それをできなかった時にストレスを感じてしまうし、 その行為の結果から得られるものに対してどうしても他人と比べたい意識を捨てきれずに負の感情に毒されるからで、 それはちょっとバカバカしすぎると思うようになった。

じゃあ実際にできてるのかっていうとそんなことはないんだけど、少なくともそう思っておくことは自分にとって精神衛生上良い。 行きたくないイベントには行かなくてもいいし、手紙を数ヶ月書けてなくてもいいんだと言い訳が付くようになって楽になった。 3月頃に負の感情がピークになって散々な思いをしたが、これからは意識して平和に過ごしたい。

ソロの発表があった去年のアニサマからそろそろ一年が経とうとしていることに気付く。 当時さんざん騒いだわりに今では時折ソロのことを思い出すくらいの温度感になっていて、心の整理はそれなりについたつもりでいる。

ソロに対する正直な感想を言えば、大人の思惑がどうしても垣間見える一方で、 大人の中での世に出す*1イメージが固まってないんじゃないかと思う時がある。 ソロをするためのソロというか、ソロをやるということ自体が重要視されているように思える。 だから本人のことをよく知らない人からしてみれば薄ぼんやりとした印象しか残せていない懸念を持っていて、もしそうだったら少し悲しいことだと思う。 まあでも例えば最終的にはドームライブだとか考えられても相当困るので、本人が望む形で続けて(or 続けないで)もらえれば十分だと思うしかない。

好きな声優は今の仕事をしていて幸福なんだろうかと月一くらいの頻度で考える。 昔から声優やタレントになることが夢でそのために専門学校や養成所で頑張ってきましたみたいな人だったらともかく、本当は地元で暮らして何か他の仕事に就いていたかったりするんじゃなかろうかと思うことがある。 しかしすれば尚更、自分が好きな声優を好きなように見ていられることは本人の意志とめぐり合わせの結果であるわけで、そう思うと敬虔な気持ちが湧いてくる。

だからこそ好きな声優が次の一年も幸福でいてくれたら良いと願うし、そうでなければ、なんというか不公平だと思う。 お誕生日おめでとうございます。

*1:売り出すという言い方に強い抵抗があったので言い換えた