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主に麻倉ももさんのことを書きます

ソロデビューに寄せて

麻倉ももさん

ソロデビューおめでとうございます。

いつかは、だろうなと思っていました。 でもそれはただ薄々想像していただけであり、覚悟からは程遠く。 だからそれを聞いた時、喜びや驚きよりも先に困惑がありました。変な冗談なのかな、と。 しかしアニサマという出演時間の極めて限られた場だと、ちゃんとお話を聞けることもなく。 飲み込もうにも飲み込めぬまま出番を終えられてしまいました。

しばらくの間宙に浮くような感覚があり、音の渦に身を委ねているうちに徐々に様々な感情が押し寄せてきて、 次第に「好きな声優のソロデビュー」という出来事を現実のものとして受け入れ始めました。

好きな声優のソロデビュー、自身のキャリアのマイルストンとなる重大な発表をされたのですから、 これを喜び祝わなければ一体祝福するべき何がこの世界にあるというのか。 月に手を伸ばし始めた人に対してどうして不粋なことが言えたものでしょうか。

特別な個人として、その人がその人自身であるということが全肯定されるソロ活動。 おそらくソロのステージなんてものがあろう日には、その人のためだけに作られた舞台装置と舞台それ自体があり、 (そして舞台というのは限られた人間にしか立つことを許されない場所だ) その人のためだけに動く人間が何百何千といった単位で存在し、 幕が上がればその人のためだけに流れる無上に甘い時間が流れます。

僕の好きな声優を中心に回る世界が確実に存在することになるのであって、それは理想の世界であるような気がしています。 これが喜ばしいことにあらずんば一体何であるのか。

これは僕の妄想に過ぎないのですが、どうにも僕は好きな声優が自分と同じ世界に生きる人間だとは思えず、 ある日ふと人間の住む世界から去ってしまうのではないだろうか、と不安で不安でしょうがなく思っています。

だからソロで活動されれば、それだけ好きな声優に関する記録と記憶が残ることになって、 それはこの世界にほぼ永遠に在り続ることができることに等しい。 そう考えて、僕は心の底から安堵しました。

一方で悲しみを感じたことを告解します。

僕は今まで、好きな声優の周りにはお金とか財産の概念なんて無ければ良いのに、と思っていました。 完全に僕自身の話なのですが、お金のあるなしを気にして生きていくのは実に辛いので、 僕は僕の好きな声優がそのような俗っぽい苦しみを味わっているなんて思いたくなかったのです。

でもなんで今ソロで活動を始めるのかなとか、映画のタイアップなんだなとか、 そう色々考えるとどうしても邪推してしまう部分があるし、 やはりリリース後はCDが何枚売れただとかそういう話がどうしても付いてまわるので、 夢はやはり夢でしかなかった、当たり前のことに気付きました。 少し泣きたいほど悲しかったです。

他にも思う所は多く、本当に多くありますが、 ソロデビューによって僕の好きな声優のかけがえの無さは増すばかりだ、 ということは少なくとも間違いではないし、 この胸底から湧き出る喜びは嘘偽りない本当の気持ちです。

麻倉ももさん、この度はソロデビューおめでとうございます。